アメリカで人生はじめての胃カメラ体験を明日に控えた心境
病気と死への恐怖のはじまり
私の記憶を遡ると、3歳の頃の祖母のお葬式に辿り着きます。冷たくなって横たわる大好きだった祖母を見て「死」を理解したあの日、人には必ず訪れる「死」が、幼い潜在意識に強烈に刻まれたのです。死んだら何処に行くの?死ぬのは痛いの?死ぬのは怖い。会えなくなっちゃう。幼いながらに毎日毎日一生懸命考えました。
通っていたカトリックの幼稚園でお祈りを習うと、大学を卒業するまで毎日祈りました。そして、中学生のある時まで、毎晩こう唱えてから十字を切りました。
「パパとママと妹が私より先に死にませんように。
世界中の皆が幸せで安心して過ごせますように。
死にませんように。」
中学になると、親友や妹を相次いで亡くし、高校になると毎年喪中が続きました。
小学生の時小児がんで亡くなった妹の死は、私の「がん恐怖症」の引き金になりました。
祈りは続けましたが、もう誰かが先に死にませんようにと祈るのはやめました。
あれから何十年、一日たりとも「死」を考えなかった日はありません。ベッドに入ると必ず「死」について考えます。考える事によって、どうにか理解しようとしている自分がいます。それだからか、私はオカルトやスピリチュアリティにとても強く惹かれます。死を考える事が多いからこそ、自然な流れなのかも知れません。
40代に入りパニック障害になる
病気への恐怖があるとはいえ、40代に入るまでかなり体力のある方でした。
アメリカで35歳まで学生として過ごしましたが、生涯で一番勉強したし、専門の楽器も人生で一番練習しました。大学院へ行く前から、楽器の練習は6時間から12時間毎日しましたし、その前後で宿題をしたり飲みに行ったり、二日間位寝ていなくても、一晩寝たらケロッとしていました。一年に一度は風邪で1週間位寝込むのですが、それ以外はどんな不摂生をしても何でもなかった。
でも、ある事がきっかけで体に大きな異変が起こったのです。
40代に入って直ぐ、アメリカの弟と15年間慕っていた親友が、ある事件*1に巻き込まれ命を奪われました。犯人を知っているのは、私と他州に住む友人二人だけ。私は友人を失ったショックと共に、犯人が口封じに来るのではないかと恐怖で眠れなくなりました。警察に全て話しましたが、身の安全確保までしてくれません。睡眠障害になり、寝れば酷い寝汗をかき、胃腸もおかしくなりました。毎週のように病院へ通いましたが、どんな検査も異常なし。
それから二か月、日本の妹から連絡がきました。父にがんが見つかったのです。ステージ4、手術は不可能だと言われました。もってあと半年。
ショックのあまり私の体調はますます悪化し、更年期も重なりホルモン異常になってしまいました。待望の二人目妊娠も、二回の流産で終わりました。
自律神経とホルモンの異常は、最後にはパニック障害と言う形で私の中に留まり、今は大分よくなったとは言え、不安症になってから色々な事に消極的になってしまいました。
パニックの薬を飲んでぱにくる
不安症になり苦手になった物の一つは薬です。昔から薬は飲まない方でしたが、必要な時は普通に飲めました。今は薬を飲むと不安で動悸が起ります。
パニック発作で動悸を抑える薬を飲んだら、脈が落ち過ぎてパニックになり、パニックになっているのに脈が上がらない事に更にパニックになると言う悪循環。
体の状態を薬で変える、薬の成分が血液に流れ全身を巡る、また一度胃の中に入ったものは自分じゃ取り出せられないのが怖いのです。要するに、薬に限らず「自分では身の安全がコントロール出来ない状況」に陥るとパニックになります。
胃カメラよりも麻酔が怖い
今回、胃カメラとMRI検査をする事になってしまいました。
胆石と思って病院へ行ったら、肝臓に何かあるから念の為MRIに入りましょう。ピロリ菌がいるし、心因性嘔吐?GERD*2も?それなら胃カメラもしましょうと言う流れです。
消化器専門の先生とはコロナの影響もありビデオチャットでしたが、話し易くとても親身になって下さって心から安心出来ました。パニック障害の事を話したら「安心して!寝てる間にちゃちゃっと済んじゃうからね。心配いらないよ。」と、とても優しく答えて下さったけど・・・先生、私その「寝ちゃうのと、起きた後の副作用も怖いんですw」と何となく言い出せなかった。
私は人より体が小さく、パニックを発症してからはあらゆるものに敏感になってしまったので、強い麻酔は不安でしかないのです。
ピロリ菌除菌中薬疹が出たの巻 - アメリカ発:Que Será, Será
「アメリカ 胃カメラ 鎮静剤」で調べたら、思った通り「アメリカの鎮静剤は強い」と言う内容が沢山出てきました。日本だったら1、2時間でスッキリするようだけど、アメリカは2、3日ボーっとしてしまうような事も書いてあったし。70代のアメリカ人の義母が二年前に手術を受けた時、普段薬慣れしていない彼女は手術の時の麻酔が効き過ぎて、術後二日くらい吐きっぱなしで退院出来なかった話も思い出しました。そんな例もあるし、薬疹が出た時のエピソードでも書いたけど、アメリカの「スタンダード」はアジア人には強過ぎる場合があるので、自分にどれだけ影響があるのか今から不安です。
局部麻酔なら良いか?と言ったらそれも嫌だし、胃カメラはやりたくないか?と言ったら状況を知る為にしたいと思う。だから、明日は麻酔に対する不安や精神的な事をきちんと先生に伝えてから挑もう。怖いけど。
父の件の後日談、神様と妹は守ってくれてる
さて、先程父が余命宣告を受けた時の事を書きましたが、後日談があります。
あの時、妹と電話口で泣き合って、これからどうするか毎日のように話し合いました。母の事も心配だったし、父の状態がそんなに悪いなんて誰も思わなかった。健康診断は毎年受けているのに、いきなり肺がんのステージ4、骨にも転移が認められたのです。
父は検査結果を一人で聞きに行き、結果を聞いても動揺せず、私との電話でもとても落ち着いていました。一体どこからその冷静さが生まれるの?妹が亡くなってから仏教に目覚め、今でも毎晩のようにお経をあげているから?父のような人間に、私もいつかなれるだろうか?
検査結果が出てから二週間程経ち、父から一本の電話があった。すると、「誤診だってわかったんだ!ステージ2で手術も出来る。」私は、泣いて飛び上がって喜んだ。父も泣いていた。一番喜んでいた。やっぱり怖かったんだ。父が一番怖かったんだ。
それじゃあ、骨への転移は?
父はある日、骨への転移の位置、数年前にお風呂で尻もちついて傷めた所じゃないか?そう気づいて主治医に電話しようとしたら、同時に主治医からの留守電が入っていたそう。
「いつか腰やお尻を打った時はありませんか?もしそうならば、転移ではなくその傷だった可能性があります。」
その話を聞いて、もしかして、子供の頃のあの祈りは、神様に届いていたのではないかと思った。惜しくも妹は助からなかったけれども、神様も妹も、守ってくれてると確信したのでした。
明日は、妹がきっと守ってくれてると思って頑張ってきます。